ジャン黒糖の映画あれこれ

[予習編]『ラスト・ナイツ』公開!紀里谷監督が描く”本気”とは?!監督作特集!

[予習編]『ラスト・ナイツ』公開!紀里谷監督が描く”本気”とは?!監督作特集!

[予習編]『ラスト・ナイツ』公開!紀里谷監督が描く”本気”とは?!監督作特集!


どうも、ジャン黒糖です。

11月14日公開したハリウッドが描いた新たな忠臣蔵『ラスト・ナイツ』のPRにネットニュースやら、地上波テレビなどで監督をつとめた紀里谷和明さんが出ずっぱりの状態だった。
特にテレ朝系バラエティ『しくじり先生』で語ったプライベートや仕事観などの大胆発言はその後ネットでも大いに話題になり、監督自ら全国でチラシを名刺代わりに配ったという。

そういえば全然関係無いですけど、紀里谷監督かっこいい顔立ちですよね。。大人の色気半端ないです。
見た目だけでいえばどことなく赤西仁さんにも似ている気が・・・笑

さて、そんな彼の発言・行動の数々を見るに、監督自身の底から溢れんばかりの”本気”を感じた。とにかく身を削って死ぬ思いで作品作りに取り組んでいるのだと。
映画業界を目指す若い学生には「ナメるなよ」と言い放ち、日本の映画界にはハリウッドのような競争意識が欠けていると否定し、とにかく死ぬ思いで本気になって自分は映画作りに取り組んでいるんだ、と。

そんな彼の『GOEMON』(2009年)以来およそ6年ぶりの最新作『ラスト・ナイツ』の日本国内での上映館数は200館弱と、そこまで大きな規模ではないものの、ネットインタビュー記事やテレビのバラエティ番組で語られる奇行っぷりは話題となり、Googleトレンド上でも公開した11月14日をピークにかなりの話題となっていた。


グラフはここ3ヶ月で「ラストナイツ」と検索したときのトレンドの推移です。11月14日の公開前後がピークであることがここでわかるかと思います。

ただ、彼の作品といえば中学生のときに観に行った『CASSHERN』の世界観が悪い意味で衝撃的で、その後の『GOEMON』も前作に劣らず世の中的にも不評で、すっかり飽きられた感のある人、というイメージがあった。
しかし、今回各方面で語る彼のその”本気”に、ふと興味を持った自分は最新作『ラスト・ナイツ』に興味を持ち、気付けばググっていた。

しかし、「ラストナイツ」と検索しかけてすぐに関連検索キーワードに「ラストナイツ 評価」「ラストナイツ 興行収入」など、何かしら映画の評判にまつわる関連ワードが出てくることに気付く。

ラストナイツ 紀里谷

一般的な印象として、上映中の映画タイトルで検索をかけたとき、関連キーワードによく出てくるのは上映劇場はどこか、とか主題歌は何だ、など何かしら映画を鑑賞するのに関わる補足情報などをAND検索を行なうことが多い。
正直この結果に思わず「やっぱり・・・」と声が漏れそうになった。笑

『CASSHERN』(2004年)『GOEMON』(2009年)ですっかり出来上がってしまっていた監督作品への、ある種嘲笑気味というか、あきれられている感という印象を持ってしまっている。
たとえ監督自身が各メディアで「本気だ」と猛PRを行なおうと、観る人にとっては彼の作品について何かしら世間の評判が気になる、というところが変わらず不安の拭えない、監督へのストレートな一般的なイメージだと思われる。

ふむ。笑

ではそれでも紀里谷監督が描こうとする”本気”の映画とはどんなものなのか自分なりに考え、そして急遽彼の映画世界観について特集を組もうと思った。
そしてそんな彼が「もう死ぬ気で作った」と語る最新作『ラストナイツ』とは、どんな映画なのか!?挑もうじゃないかと。

そのためにはまず彼の過去作品を見直す必要があるな、と思い中学生以来、『CASSERN』とそして『GOEMON』を観た。
が、『GOEMON』の佐助演じるゴリさんの言葉を借りてあえて結論からいうと、

GOEMON 紀里谷監督

「だから言ったろう!!絶対後悔するコトになるって!!!!」

まぁこの一語に尽きる、自ら期待しておきながら予習対策として過去作を観るのは忍耐を必要とする企画であった。笑

■中学中退して単身渡米、写真家そしてMV製作で活躍

映画作品について振り返るより先に、簡単に彼の活動歴について紹介する。
ここに、ジャン黒糖的には彼の映画作品のベースに通じる要素が溢れていると感じたためである。

度々テレビでもこれは語られていたことだが、彼は中学の頃学校という教育の場があまりにも馴染めず両親に懇願して中退、そのまま単身渡米したという。
曰く、学校などの教育機関が教えるものは”知識”に過ぎず、むしろ学校の外、ひいては世界にこそ自分が信じられるものを学べる現場がある、とのこと。

そこで彼はアメリカでアートの世界に傾向するようになり、そして写真家として数々のアーティスト写真を手掛けるようになる。
日本国内でいえばSMAPの「らいおんハート」やMr.Childrenの「NOT FOUND」など、有名なアーティストのジャケット写真の制作などを行い、界隈でも有名な売れっ子写真家として活躍した。
そして彼をさらに一躍有名にさせたのが、宇多田ヒカルとの仕事であろう。

2001年の『travelling』で紀里谷監督が監督したMVはその年の日本ゴールドディスク大賞「ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー」に輝くなど、知名度・評価ともにうなぎのぼりとなった。

その後も宇多田ヒカルのシングル『光』『SAKURAドロップス』『Deep Liver』などのMV制作をはじめとするアートディレクションを担当し、そしてついにこの後話す映画監督デビュー作『CASSHERN』(2004年)へと話は繋がる。

と、あまりにもザザッと彼の映画監督デビューまでの活動を簡潔にまとめたが、いま振り返ってみてみるとCDジャケットにしろ、MV制作にしろ、そのアーティストをどう見せるかというプロモーションとしての観点と、自分自身にしか描けない作品をどう作るかという芸術性としての観点が、とてもバランスの取れたアートディレクターとして素晴らしいお方ではないかと思う。

その後の彼の2つの映画作品『CASSHERN』と『GOEMON』のきらびやか且つ色の異常なまでの多彩なCG映像美こそが彼のアート作品の特色としてイメージされてしまいがちだが、宇多田ヒカルの2002年の曲『光』や『Deep Liver』などを見てもわかる通り、コンセプトに応じて作品の世界観を変えていくなど、実は世間のイメージ以上に柔軟な振り幅をお持ちですよ!と私自身伝えたいんですよね。笑

ただ、依頼されて作るプロモーションとしての側面を持つ映像作品と、監督自身が思い描くビジョンを作り上げるアートとしての側面を持つ映像作品は、コト”映画”というフォーマットで、コト”映画監督”という立場になると、必ずしも上手くバランスを保つことができるかというとそれがまた難しいところである。

■音楽業界の気鋭がついに映画界に進出!『CASSHERN』(2004年)

2004年当時、時の人となった紀里谷監督が映画界に進出した監督デビュー作『CASSHERN』が公開された。

CASSHERN
映画『CASSHERN』ポスター

当時、中2であった自分はその映像世界観と豪華キャストにひかれ、当時まだワーナーマイカルだったが、新百合ヶ丘の映画館に観に行った。

当時抱いた感想としては「難しい…」というのが正直のところであった。

妙に色の情報過多な映像美とアニメちっくなアクション描写、哲学的なセリフに、まだ中2という未成熟ながら名状し難い想いに駆られた。
なんと表現すれば良いのだろう。。この感覚。

CASSHERN

『CASSERN』が公開された2004年、アジアではウォン・カーワイ監督がSFファンタジー『2046』で独特な世界観を見せ、それ以前はハリウッドではマック・G監督による『チャーリーズ・エンジェル』リメイク版が公開され、VFX技術の進化によって、コントラストの強い、極度にビジュアル性の強調された”CG映像美”的アクションを見せ、いま振り返ってみれば「2000年代前後ってこうだよね」的な映画表現だったように思う。

CASSHERN
映画『2046』より。”2046″に向かう列車の背景に映る本作特有の世界観

また、実はこの次の監督作品『GOEMON』にも共通していえるのが、紀里谷監督ってすごくキャスティングが上手ですよね。

寺尾聡の醸し出す不気味な雰囲気や西島秀俊のまっすぐな姿勢の”ズレている”正義感など、脇役1人1人が実に良い配置になっていて、どちらかといえばむしろ主演の伊勢谷友介や敵役の唐沢寿明の方が妙に舞台芝居がかっていて、他の役者さんに比べるとちょっとスベっている気がしなくもない。。笑

ただ!!これら独特の映像美とうまいキャスティングが、この映画を総合的に高い評価をもたらしているかというと、そうでもない。そうでもない。

本作を通じて語られる人間同士の醜い争いや唐沢寿明演じる新造人間たちの人間たちへの深い憎悪はラストで伊勢谷友介が語るある言葉によって一気に明らかになりそして深い感動を持つという流れなのだが、とはいえ、そのラストまでず〜っと、この”理解し得ないボクら”という暗〜く鬱蒼として、且つ意味深な映像美で語るので、正直!映画として飲み込みにくいよ!

しかもこのメッセージもね、、うん、響きにくい。。。

もっとキャシャーン本人がスカッとするような行動を起こしてもらえば良いのだが最後まで彼の行動心理はわからないし、ウジウジしていたかと思えば急に格好つけてアクションし出すし、なのに何よりアクションが…格好悪い・・・。

というようにですね、正直映画監督デビュー作にしてはこれだけ当時の日本映画界からは想像もつかない、わずか1本の映画で監督の名を(いろんな意味も込められるが)有名にしたというのは素直に感服なのだが、とはいってもラストのメッセージのために、それまでの描写が延々暗く続くため、何度でも見返し甲斐のある作品には思えないし、観るに辛い1本であると思った次第でございます。
ただ、世間が頭ごなしにこなすほどひどい映画でもなかったよ!

■前作の反省を踏まえた?!痛快娯楽作(を目指した?)『GOEMON』!

前作、『キャシャーン』での批判を受けてか、内容も映画的ルックも娯楽性をグッと増して5年ぶりに公開された紀里谷監督第2作『GOEMON』。

GOEMON

前作以上の制作費(およそ8.5億円)と5年という歳月をかけて完成させた本作は、前作以上にCGアクションが多くなり、さらには五右衛門を主人公に、服部半蔵、才蔵、秀吉、茶々・・・と、見た目からは前作のような鬱蒼としたダウナーな雰囲気は無い。

冒頭の五右衛門登場シーンなんかも、大泥棒としての彼の活躍を見せつけるあたり、「あれ?もしかして良くなってんじゃないの?」という嬉しい予感があった。
「おぉー、絶景〜絶景!」

ただ、悲しいかな、前作で大滝秀治の顔がドカーンと出てくる東洋の異様なディストピア感もある意味ドギツくて、冒頭のみ引き込まれたあの感覚と同様で、本作も冒頭で期待させることはできてもタイトルが出てから先はどうしてか、つまらない展開が続く。
ただ、戸田恵梨香はかわいい!

これも前作にもいえることだが、CGアクションも色調コントラストが濃過ぎて五右衛門が才蔵と戦う場面で家々の屋根を疾走していても重量感が無いというか、肉体性を感じず、チープ過ぎる印象がある。
300とか、ロードオブザリングを目指したのかな?わからないけど、どちらかといえばプレステ2のころの三国無双みたいな、アニメと実写の間というよりRPGゲームのイベントムービー部分を永遠と観ているような感じだった。

また、中盤これまた妙に説教じみた直接的メッセージ性のある会話劇と、五右衛門の知られざる過去に迫る回想シーンがとにかく物語の推進力を妨げて、せっかく冒頭の大泥棒・五右衛門としての活劇を期待したのにどんどんつまらなくなってしまう。
前作の方が良くも悪くも振り幅広くトガッた作品だったため、本作は娯楽作としていえば普通につまらない映画になってしまったとさえ、思ってしまう。

そのため、紀里谷監督についてもっと知ろう!と過去作をイッキ見してみたものの、

GOEMON 紀里谷監督

「だから言ったろう!!絶対後悔するコトになるって!!!!」

と、思ってしまった訳です。笑

ただ、正直こういった指摘箇所については紀里谷監督のそれに限らず、当てはまる映画は世の中にいっぱいある訳で、なんならそこはジャン黒糖的には気にしてすらいない箇所といっていいんです。

それ以上に!本作の問題と私自身が思うところとして、これはもう監督自身の生き方?姿勢にも通じることなのだが、彼の作品って”不条理なことの多い世の中(または常識や体制側など)にも負けず、自分の中に宿る何かを信じて行動すること、それこそが生きる上で美しい”ということが脈々と、そして堂々と描く作品が多いんですよね。

単純に、それだけ聞くと決して悪く思わない、むしろアメリカン・ドリームのような前向きメッセージのように思う。
けれども彼の作品の場合、それが少々度を越して”評価は受けるつもりはないし、名声や地位・財産を得ようと行動することは汚い”とさえ、考えているように捉えられる。

劇中出てくる人物でいえば石田三成(要潤)や豊臣秀吉(奥田瑛二)のような地位を持った人、または名声をこれから得ようとしているネタバレになるので言えない”ある”人物は、その行為を醜い存在として描こうとしている。

その反転、江口洋介演じる五右衛門などは社会の規範やルールに縛られることなく生きようとする、非常にヒロイックな存在として描かれるのだ。

そしてこのことは劇中内に限らず、監督自身のコメントにも共通していて、鑑賞者の意見、特に評論家のコメントにはあまり耳を傾けていないのかなぁと思う。

先ほども少し触れた、江口洋介演じる五右衛門と大沢たかお演じる霧隠才蔵が草原で貧困街から草原まで激しいアクションを重ねる重量感の無いアクションシーンについて、本作のBlu-ray特典にある監督自ら語るビジョナリーコメントで「ここ、一部の人からは、、おそらくは高齢の方かもしれないけど、動きが早過ぎるという指摘があったんですけれども・・・早いですかね、別に僕はそうは思いませんけど」と語っていたりもしていて。。

話題になった出来事としては「しくじり先生」に監督が出た際、映画コメンテーターの有村昆さんとの口論バトルのとき、「批評するよりも映画作る方が難しい」と反論し、『GOEMON』については「良くなった」とフォローした有村さんのコメントについても「どの目線で言ってんだって感じしません?!」と返していた。
正直この発言には賛否あるし、有村さんの映画評論についても良し悪しあると思う。
ただ、私個人としては「それを監督が言っちゃあかんよ紀里谷さぁぁぁん・・・」と思った。

たしかに、”1本の映画”という本数で考えたとき、当たり前だが批評するより作ることの方が予算的にもスケジュール的にも圧倒的にスケールが違う。その、労力を指して「作るほうが難しい」というのであればわかるが、そうではない。

“評論家”と肩書のつく人はその人自身のジャンルや趣向を含め様々あるので一概にはいえないけど、映画に限らず「物事を批評する」という行為はコンテンツビジネスの現場においては無くてはならない存在に思う。

ましてや、TwitterやFacebookなどのSNSが普及し、Filmarksなどの映画レビューアプリが人気を博していることが示しているように、評論家に負けずと劣らず、これまでは声なき声となっていた一般の消費者自身の意見・感想が、世界中に向けて発信できるようになった”一億総ツッコミ時代”のいま、評論家の声だけでなく、私のようなペーペーの観客の声も「どこから目線でモノ言ってんだよ!」と罵倒できない時代となった。

にも関わらず、彼は観客を意識して映画を作るという行為には”作為”が生まれてしまい、本質的に自分が撮りたいものからは遠ざかってしまうといい、本当の意味で撮りたい作品がイメージ通り完璧に仕上がったとき、そのとき本当の意味で自身と観客の間に”感動”が生まれると信じているのだ。
創作活動において、自分のやりたいビジョンがある限り、作品を批評するという評論家の行為や観客の声に傾けて創作するという行為は、本作に出てくる石田三成や豊臣秀吉と同様に、醜いと考えているのではないでしょうか。。。

GOEMON
秀吉「そんなにおれ、醜いかな??」そんなことないですよ、、、非常に偉大な方ですあなたは。。

たしかにクリエイティブという現場において、自身のビジョンを本気で描き出すという姿勢を持つのはとても重要だし、非常に共感できる。とってもわかりますその気持ち!紀里谷さん!

ただ、いくら創造性に重きを置くにしてもまったく観客の意見を無視する、または理解を示さないというのはあまり良くないように思える。

本作のビジョナリーコメントの中でも、途中途中で監督自ら「ここのシーン、2人の会話シーン座らせながらじゃなくて、歩きながらにしておけば躍動感出てもっとよかったかもな」などというのだが、思わず「そこじゃないんだよ…監督…!そこを直してほしいんじゃないんだよ!」と思わず頭を抱えてしまった。

■どうなる?!最新作『ラスト・ナイツ』!!

そんな中、またも5年という歳月をかけて番宣でも言っていたとおり、死ぬ思いで作ったという最新作『ラスト・ナイツ』の公開。

予告編を見る限り、妙に安いCGアクションは無くなり、ダークで緊張感のある画作りと主演にモーガン・フリーマンとクライブ・オーウェン!!という渋みを任せたらこの人!的な、映画が”シマる”2人を据え、一体どうなるんでしょうか?!アクションにも期待できるぞ!

映画監督になってからというものの、2本にわたって監督自身の強いイマジネーションから独りよがりな印象があったが、果たして本作でも独創性は爆発するんでしょうか?!
いよいよ次回、レビューです。

ではでは〜。


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